自尊心とその崩壊~修復は気持ちの自然な表現によって~

 私が診察室で最初に感じるのは、ここに訪れる患者さんは自尊心に傷つきがみられることである。私には自尊心がある。それは、両親から頂いた深い愛情である。幼い頃に得られた愛情は生涯普遍である。どんな危機的状況でも、壊れそうな自尊心が復活する。佐賀少年刑務所に約7年間、非常勤として勤務したが、面接者の自尊心に注目した。残念ながら拒否能力が弱く、自尊心の傷つきが修復できていなかった。どんなに貧しい生活であれ、教育を受けることができなくても、自尊心は形成される。その中心となるのは、家族であり、同僚であり、友人であり、会話である。自分を表現し、相手に理解してもらうことで、自尊心は高まっていく。自分の存在感を確かめることができる。多くの不幸は、自尊心の傷つき、あるいは喪失、あるいは、崩壊である。

 先日、65歳の中学校の同窓会があった。20名の物故者がいたことは非常に悲しく、黙祷から始まった。参加者はみな自尊心に満ちていた。どんな違いがあろうと、中学卒業後50年経過しても、変わりはない。お互い尊重し、昔話が展開していく。お互い比較することもなく、自分が偉いとか、立派とか、そんなことはもうどうでもよい。この年齢まで、自尊心が大きく傷ついて落胆しても、中学校の同期生は助け合う。すばらしかった。決して、アラ探しする友人もいない。自然だ。馬鹿になれる。完璧をもとめるものもいない。これが本来の人間関係ではないだろうか。

 診察場面で、患者さんに、もし、アラというものがあるとすれば、一見価値がないように思え、自分でも認識できないが、患者さんは自分にアラがあると気づくと、治癒していく。そして普通に生活できるようになり、涙とともにそれがタカラに変化する。

 私は両親に感謝したい。私をこのような人間に育ててくれたことに。

(2026年2月2日 佐藤 武)

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